
ディズニー映画の「ラーヤと龍の王国」ってご存知ですか?
ディズニーの中ではあまりメジャーではないのですが、私はとても好きな映画です。
観終わったあとに妙な余韻が残り、
「これはビジネスにそのまま置き換えられる話ではないか?」と感じたんです。
今日は、その映画から得た気づきを、東洋哲学の視点でまとめてみたいと思います。
この記事の要約:「競合と争わない」ための5つの視点
| 映画が投げかけるテーマ | 「分断から統合へ」。争い続ける世界でも、歩み寄れば1つに戻れるという視点が描かれている。 |
|---|---|
| 競合=敵という思い込み | 「ラーヤと龍の王国」を見て、ビジネスでは“競うのが当たり前”と思いがちだが、本当に倒すべき相手なのか?共に繁栄する道もあるのではないか?という疑問が生まれた。 |
| 共創の可能性 | 5社共同セミナーのように、互いを引きずり下ろすのではなく、それぞれが強みを出し合う場は実現できる。 |
| 鍵となる「水」のあり方 | 老子の教えにある“水のように争わず調和する姿勢”は、競合との向き合い方にも活かせる。 |
| 答えよりも「問い」を持つ | 競合との調和の正解はない。答えに急がず「どう生きたいか」という問いを持ち続けることが道を開く。 |
これらについて、以下で分かりやすくお話します。
映画「ラーヤと龍の王国」のあらすじを簡単に
物語の舞台は、かつてひとつの国だった、クマンドラ。
しかし、伝説の龍:シスーが残した“龍の石”という強大な力をめぐって、人々は5つの国(ハート、タロン、ファング、スパイン、テイル)に分かれてしまいます。
それぞれが自分の国を守るために石を求め、
奪い合い、疑い、争い続ける世界。
主人公のラーヤ(ハートの国の少女)は、伝説の龍:シスーと共に、龍の石を1つにしようと奮闘します。
その中で、かつて子供時代に裏切られた敵国(ファング)の少女:ナターリと出会い…。
最後は、それぞれの国が持っていた石のかけらを合わせ、
もう一度「ひとつの国」に戻っていく──
そんなストーリーです。
この「分断から統合へ」という流れが、観ているうちに
「ビジネスでいう“競合”の姿に似ているな」と感じてきました。
競合とは、本当に“敵”なのか?

私は士業専門のWebマーケティングを仕事にしていますから、
普段から “競合” という言葉に触れる機会が多いです。
- 競合より検索順位を上げる
- 競合に負けない強みを打ち出す
- 競合の手法を分析して差別化する
ビジネスの世界では、こういった考え方が当たり前に語られます。
もちろん、それ自体が間違っているわけではありません。
ですが、「ラーヤ」を見てハッとしたんです。
映画では、五つの国が互いを疑うほど争いが深まり、
最後には、誰も幸せにならない状態にまで悪化していました。
ビジネスでも、似た構図を見かけます。
- 顧客の奪い合い
- サービスの過剰な値下げ競争
- 相手の弱点を突く宣伝
こうした争いの構図を、なんとなく「当たり前」と思っていたのですが、
映画を観ていると、「争わない選択肢」もあるのではないか、と感じたのです。
かつて私が体験した“争いのない場”の話

数年前、私が声をかけて、士業向けのサービスを提供している5社で
共同セミナーを開催したことがあります。
都内で開いたそのセミナーには、200名近い参加者が来てくれました。
普通に考えれば、その5社は“競合”です。
それぞれが士業の先生方に向けてホームページ制作や集客支援をしているわけですから、
本来なら、同じ場所に並ぶだけでも妙な緊張感が生まれても不思議ではありません。
ところが──
あの日の会場には、争いの空気がまったくありませんでした。
5社はそれぞれ、自分たちの得意分野やノウハウを淡々と伝え、
参加者は、自分に合う会社を自然に選んでいく。
奪い合いではなく、
「自分たちの強みが必要な人に届けばいい」
という、静かで健全な空気がそこにはありました。
私はその時間を、とても心地よく感じていたのを覚えています。
“競合”と呼ばれる会社同士でも、
互いを引きずり下ろさずに、
同じ場で価値を生み出すことができる。
その景色は、映画のラストで
五つの国が石を持ち寄るシーンと重なって見えたんです。
その鍵は「水」のあり方にあるのかもしれない

「ラーヤ」では“水”が象徴的な役割を担っていました。
- 伝説の龍:シスーは「水」を司る存在
- 映画に登場する魔物:ドルーンは「水」を恐れる
- 争いや分断を鎮める象徴として水が描かれる
そして東洋哲学──特に老子の『道徳経』でも、
「水」は最も尊いあり方として語られます。
老子「上善は水の若し。水は万物を利して争わず」
ただ淡々と“流れ”として存在しながら、
周りを潤し、調和させていく。
5社で開催したセミナーの雰囲気は、
まさにそんな“水”のあり方に近かったのだと思います。
水のあり方から、競合との向き合い方を考える
映画を観たあと、私はなぜこんなにも“水”という存在が気になったのか。
その理由を考えていくうちに、東洋思想の中にある「水のように生きる」という考え方が、少しずつ重なっていきました。
水は、自分の形に固執しません。
コップに注がれればコップの形になり、
川に流れれば川の形になり、
低い場所に身を置きながら、周りを静かに潤していく。
ビジネスに置き換えるなら、
競合とぶつかって“勝つ”のではなく、
互いが自然と流れ合える場所に立つ、ということなのかもしれません。
もちろん、理屈では分かっていても、
この生き方は簡単ではありません。
だからこそ、東洋哲学は長い歴史の中で「水」を理想とし続けてきたのだと思います。
競合と共存する“軽さ”を取り戻す
自分を大きく見せようとしたり、
相手より優位に立とうとしたりすると、
どこかで心が重くなります。
競合を「敵」として見る世界は、
例えるなら“石”の世界に近いのかもしれません。
硬く、ぶつかり合い、そして摩耗していく。
一方で、水の世界は軽い。
流れて、巡って、重さがありません。
少し視点を変えるだけで、
競合との関係も“戦うべき相手”ではなく、
“流れの中に存在する一つの川”のように見えてきます。
あの5社セミナーの日、
どの会社も自分の良さだけを淡々と差し出していて、
誰かと競う必要がありませんでした。
あの雰囲気はまさに、
水が混ざり合うときのような静かさを
まとっていたのだと思います。
そしてその静けさの中には、
競合の誰かが勝つわけでも、誰かが負けるわけでもなく、
ただ“必要な人に必要なものが届いていく”という自然な流れがありました。
その光景は、私の中で長い間、1つのヒントのように残り続けています。
とはいえ、私にもまだ“答え”はありません

ここまで書いておいてなんですが、
私は競合とどう手を取り合えばいいのか、
明確な方法論を持っているわけではありません。
むしろ、分からないことだらけです。
- どこから共存が始まるのか
- どんな距離感がいいのか
- どこまで歩み寄れば、お互いが心地よいのか
こうした問いに対して、
いまの私はまだ答えを出せていません。
ただ、分かっていることがひとつだけあります。
勝ち負けの世界に身を置けば、
成果は得られるかもしれませんが、
心の静けさは失われていきます。
反対に、競争を前提としない世界を探していくと、
利益だけでは測れない“軽さ”や“健やかさ”が生まれていく。
その方向には、
ビジネスを続ける上での安心感や、
自分のペースで働ける穏やかさがあるような気がしています。
私は、そういう世界を諦めたくないのです。
「正解を出す」のではなく、「問いを持ち続ける」
東洋思想の中には、
“正解を急がない”という価値観があります。
ビジネスはどうしても
「答えを出す」「解決策を示す」
という方向に走りがちですが、
東洋的な視点で見ると、
そんな感覚があります。
今回の記事も、まさにその一つです。
- 競合とどう向き合うのか。
- 奪い合いではなく、流れ合うような関係はつくれるのか。
- 水のようにしなやかに働くとは何なのか。
これらの問いは、今日すぐに答えが出るものではありません。
だけど、答えが出ないことを悲観する必要もなくて。
むしろ、その「探し続ける姿勢」そのものが、
東洋哲学的な生き方なのだと思います。
あなたは、戦い続けますか?それとも、調和を目指しますか?
この記事を書きながら、あらためて思いました。
競合との関係づくりに、唯一の正解はありません。
ただ、水のように形を固めず、
状況に応じて柔らかく変わりながら、
自分も周りも潤すような流れをつくれたらーー
それは、ビジネスにおいても
とても豊かな在り方なのではないかと思います。
- 争う必要があるのか。
- 勝つ必要があるのか。
- 比べる必要があるのか。
そんな問いを持ちながら、
私自身も、これからの働き方を
もう一度見つめ直していきたいと思います。
競合と“戦わない”という選択肢。
競合と“調和する”という選択肢。
その可能性を、これからも探していけたらと思います。







